院長:上村うえむら 敬一けいいち

精神科医としての私がやってきたこと

昭和62年に医学部を卒業し、すぐに大学の精神医学講座に入局し初期研修を行いました。当時はアメリカ精神医学会が創った診断基準 (当時はDSM- III、その後改訂を重ね現在はDSM-5となっています)に基づく診断が導入され始めたばかりでしたが、一方で従来からの、 病気の成り立ちや生活背景などを丁寧に見ていく面接法や診断方法も大切にされ、患者さんに寄り添うことや見守ることの大切さなど、 先輩の先生方から厳しく指導をされました。それまでの精神医療、特に入院治療に対する批判もあり、精神障がい者の人権擁護を背景とした精神保健法の改定があり、 また社会復帰を促進するためのデイケアや作業療法をはじめとする様々な精神科リハビリテーションが導入され、それまでの長期の入院療養を余儀なくされた時代から、 早期の退院支援へと時代の変革期でもありました。

総合病院の精神科の時代

私はそうした時代に総合病院精神科での臨床経験を、パニック障害や不安障害などの外来治療の経験を積む一方で、 身体疾患で加療を受けている方々の精神的ケア(特にがん患者さんへの緩和ケアや精神的ケアを行いました)や、 自殺など辛い体験をされた方々への救急医療現場での精神科的対応などを行いました。またうつ病がクローズアップされはじめた時代でもあり、 うつ病患者さんへの治療、特に復職支援に注力しました。こうした経験から、「精神科医療は常に受診される患者さんの生活を意識したものでなければならない、 その人の生き様や生活が見える支援が必要である」と考えるようになりました。

生活を意識した単剤処方の重要性

約10年のこうした経験の後に精神科病院で勤務するようになりました。そこでは多くの統合失調症の患者さんを診ることになりました。 その中で患者さんたちの病状の回復を図ると共に、できるだけ社会の中で生活できるように支援をすることの重要性を意識するようになりました。 ちょうど精神科薬物療法の変革期にもあたり、当時当たり前のように行われていた多くの薬物を使用する治療法から、 できるだけ少ない種類の薬を少ない量で治療することも意識するようになりました。それまで精神症状と思われていたものが使用した薬の副作用であったことに気付き、 その思いはいっそう増しました。

チーム医療と地域ネットワーク作り

さらに症状を改善し早期の社会復帰を目指すために、最低限の薬は必要ですが、それ以上にその人の生活能力やコミュニケーション能力、 ストレス対処能力を育て高めるアプローチが必要であることが重要であることに気付きました。これらは医師一人ではできません。 もともと作業療法士や精神保健福祉士と協力して行ってきた支援を、チームとして組織化し実践し、患者さんが退院できるよう、また地域での生活が上手くいくように支援してきました。 こうした臨床活動は病院内にとどまらず、自ずと地域の保健所や社会復帰施設との連携を強めていくことになり、 積極的に地域のネットワークづくりにも参加することになり、今、政府が進めている地域包括ケアの考えを先取りした実践になりました。

チーム医療で行う生活支援

さらに、当時勤務していた倉光病院の院長先生からの勧めで、それまでどことなく苦手意識があった依存症治療も勉強することになりました。 依存症治療として、学習と、自らの行動や認知を振り返り、生き方や考え方を変えていくという認知行動療法を学ばせていただきました。 チームで取り組む新しい依存症治療との出会いの中で、アルコール依存症をはじめとする様々な依存症の方々が、病気の進行に伴って生活が立ちゆかなくなる過程を見る度に、 私が従来から意識していた「生活が見える支援」が必要であることを実感し、病院内やチームで退院支援や生活支援に取り組んでまいりました。

診療に対する思い

改めて依存症治療を通じて気付いたことは、私たち精神科医療に関わる者は、患者さんの幼少期からの生育環境や生活状況、その中で体験してきたこと、 そうした生きてきた歴史や生き様をきちんと理解した上で、生きづらさや悲しみの原因となっているその人の特性や癖、症状を評価し、 どうすれば苦労を減らす生き方ができるようになるかを一緒に考えていくことが重要であるということでした。 考えてみれば、こうした態度や考え方は、精神科医になって最初に先輩方に教わった、精神科医としての態度の基本中の基本です。 かかわってきた疾患はそれぞれの時代で変遷はありますが、患者さんとの出会い、先輩先生方との出会いのおかげで、今の自分があるのだということを痛感します。

これからも、こうした気持ちを大切にして、診療にあたっていきたいと思っています。

経歴

昭和62年6月〜 佐賀医科大学医学部付属病院 精神神経科医員(研修医)
昭和63年4月〜 医療法人財団友朋会 嬉野病院(現 嬉野温泉病院)
平成元年4月〜 佐賀医科大学医学部付属病院 精神神経科
平成2年10月〜 佐賀県立病院好生館 精神神経科
平成9年4月〜 同 精神神経科医長
平成10年2月〜 同 ガンセンター医長兼務
平成10年7月〜 佐賀医科大学医学部付属病院 精神神経科助手
        および 若久病院 デイケア非常勤医(〜平成17年3月)
平成11年4月〜 医療法人杏仁会 神野病院 医師
平成16年8月〜 医療法人(社)飯盛会 倉光病院
平成20年5月〜 同 副院長
平成28年6月〜 うえむらメンタルサポート診療所 院長

その他主な職務経歴

平成20年10月〜平成27年3月 糸島保健福祉事務所 精神保健相談嘱託医
平成21年4月〜平成27年3月 福岡市西保健所 精神保健相談嘱託医
平成22年4月〜       社会福祉法人いきいき福祉会 理事・評議員
平成23年4月〜平成28年6月 福岡市障がい者介護給付費等認定審査会委員
平成25年6月〜平成26年3月 福岡市職員衛生管理審査会委員、福岡市職員メンタルヘルス対策推進協議会委員
平成27年4月〜平成28年5月 福岡市精神保健福祉センター 依存症相談嘱託医
平成27年5月〜       糸島保健所 社会復帰促進事業 定例ケース検討会 講師
平成28年4月〜       FCフチガミ医療福祉専門学校 講師

保健師:金織かなおり 来多らいた

精神科に魅力を感じた自分

僕は「優しい人になりたい」と思い、看護師を目指しました。その理由の一つには、僕の家庭がアルコール依存症によって壊れたことにあります。 このことは、自分自身にもそのようになる危険性が将来あることを考えさせる機会になりました。それを受け入れるのには時間はかかりました。 とても辛かったときもありました。しかし、看護師になり、精神医療を携わる中で緩和されたところがあり、精神科の知識や対処法は僕にとって救いになりました。

精神科に感じるやりがい

また、精神科看護が好きになった理由として、精神科は医学的な問題点をケアするだけでなく、患者さんが持つ長所を伸ばすことを一緒に考えられる分野だと知ったことにあります。 そして、コミュニケーションや言葉のやり取りによって治療につながる場面も多いこともやりがいとして感じています。

また、精神科医療の社会的な需要は高まっており、うつ病、依存症、発達障害などによって広く世間に認知されるようになりました。 10年前と比べても薬の効果も良くなり副作用も軽減されています。しかし、精神的な問題が原因による家庭的な問題や労働災害など、多くの課題が残されていると思います。

精神科に携わる思い

僕は精神科の医療現場で患者さんと関わる中で、家庭や仕事を失う前に、できることはなかったのだろうかという思いが募りました。 大切なものを病気で失うことはとても辛いことです。これから先、精神疾患が家庭問題や労働問題に至らないような精神医療を作りたいと思っています。 これらが実現できるように、うえむらメンタルサポート診療所から発信し続けます。

経歴

平成18年3月 島根県立松江南高等学校卒業
平成21年3月 米子医療センター付属看護学校卒業
平成24年3月 大阪市立大学 医学部看護学科卒業
平成25年10月 倉光病院 入院治療部 急性期病棟
平成28年7月 うえむらメンタルサポート診療所